募金にご協力お願いしまーす。
女子中学生が、傍から聞く分には別段だるさを感じさせない声を上げている。
さすがは近所のお嬢様女子学園。少なくとも対外的なところでヘマをするようなことはしない。
第一印象を取り繕うことに掛けてはある程度の実績のある僕でさえ、
彼女たちを観察することで更なるスキルアップが可能かもしれない。早速試してみることにする。
念のため、決して女子中学生を凝視する大義名分を得るために四行もごねている訳ではないことをここに記す。
さて、今日は募金の話をしよう。
僕は募金をしない。
それは何故か。していたらキリがないからだ。
君ならどこに募金する?
赤い羽?ユニセフ?ユネスコ?
カンボジア?パキスタン?ネパール?
世界自然保護基金?国連世界食料計画?国境なき医師団?
はたまたホワイトバンド?南アフリカにサッカーグラウンドを作ろう募金?
昨日はしたのに今日はしないの?
どうしてこんなに少ない額しか入れないの?
ここに募金するのにどうしてあっちには募金しないの?
人は矛盾を抱えている。
矛盾のない人間など物語の中にしかいない。
だから、物語の登場人物は魅力的に見えるのだ。という自論はまた今度にして。
僕は自分の中の矛盾が嫌いである。
特に思い当たるものはないが、何かトラウマがあるのかもしれない。
もし僕が個々人に特殊能力的なものが付く世界観の物語に入ったりしたら、
まず間違いなく、僕の能力はこれに関係したものになると断言できる。ほどに嫌いである。
僕が募金をした場合、僕は3つ上の段落にある矛盾に苛まれることになるだろう。
勿論、そんなもののために君は貧しい国の子供たちを見捨てるのか、という意見も存在しよう。
だが、仕方ない。僕にとっては重要なのだから。
あなたは見知らぬ人一人の命に対し、どこまでできますか?
書き方に依っては締めの文にも使えそうな文だと思った。気取ってる感は拭えないが。
さておき、どうだろうか?
10円?100円?1000円?貯金全部?借金しちゃう?
時間や労働だっていい。場合に依っては血液とか腎臓とか。
他にも自身の哲学や信念だって、曲げれば誰かを救えるとしたら。
僕は見知らぬ人の命に対し、自分の信念を曲げることはできない。
つまるところ、臆病なのだと思う。
もしここで10円募金してしまったら、100円募金しない自分を責めるだろう。
もしここで100円募金してしまったら、他の募金活動を無視する自分に耐えられない。
自身の精神の安定のために人を助けない僕が辿り着いた、募金しないことへの矛盾無き大義名分は、
自然の摂理、弱肉強食を肯定すること。
地球の全ての生物を生かすことはできないのだから。
他の動植物物を食わねば動物は生きられず、間引かなければ植物だって枯れる。
それの延長線上。生きる人間がいれば死ぬ人間がいる。そういうもんだ。という納得。
そう考えることで、僕は自分を肯定できる。
自身で肯定できないような自分でいたくない。
自身に対する自分の評価を保つことは、僕にとっては重要らしい。
自己分析。それとも一般論なのだろうか。保険の授業でやった記憶があるから多分そうなのだろう。
ともあれ、だから、僕は募金をしない。
もし僕がこの先募金をするとすればそれは、
募金をしない自分に矛盾を抱えたときか、
自己肯定より重要な事態が発生したときか、
はたまた、価値観に大きな変化が生じたときであろう。
最後に、決して四行もごねてから凝視した女子中学生たちの中に好みの子がおらず、
結果好みの子の持つ箱に募金をすることなくその場を立ち去った件についての弁明のために、
このように一時間以上をかけて千字余りの釈明文をこさえた訳ではないことを、伏してここに記す。
飽くなき逃避行は今日も続く。
- 2010/10/09(土) 03:40:13|
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